がんだったのにがんじゃないと嘘をつかれた話

母は「明らかにおかしいから病院に行く」と何度か口にしていました。

母曰く、立ちくらみやふらつきがあり、まっすぐ立てないとのこと。実家から徒歩3分の小さな内科に通っていて、メニエール病と診断されていました。
内科の先生に簡単なストレッチを教えてもらい実践していました。
なかなか良くならず何度も病院に通って、半年が経った頃。

母は先生に、「先生、自分の体のことは自分でようわかるんです。メニエール病だけやないと思う」と総合病院への招待状を書いてくれと懇願しました。
母はこの時、先生にため息をつかれたそうです。

気にし過ぎです、気をしっかり持たないと本当に大きな病気になりますよ

と怒られたそうです。

それからも母はふらふらになりながら、一生懸命に家事をこなしていました。私も見ていられない程でたくさん手伝いました。
ご飯もまともに食べられなくなり、普通に炊いたご飯はもう無理で、柔らかいものをだしていました。

その様子は私から見ても明らかにおかしく、母にもう一度病院へ行くように言いました。
そして次の日の朝イチで母はいつもの内科に行きました。

先生、もうホンマに倒れそうなんです。おかしいんです

先生はようやく、しぶしぶながら招待状を書いてくれました。
そして近い内に、総合病院に行ったのですが、ついた瞬間に倒れ込み車椅子で診察にいきました。

そしてPET検査を受けるように言われ、受けます。受けるまでにも日数がかかり、自分の母のことですからそれはもう、早くしてくれと思いました。
結果もすぐには出ないので。

結果が出たとのことで、約1週間後一緒に聞きにいきました。

メニエール病ではなく、肺がんでした。既に全身に転移していて、写真を見ると、黒い影が上半身のいたるところにありました。
それを見た瞬間、本能的にもうダメだと絶望しました。

母は外科の先生に「自分はどうなってもええんです、先生。主人もこの子にも苦労させたくない」と半分叫ぶように言っていて今でも思い出します。

それから、抗がん剤を投与しながら入退院を繰り返します。どんどん痩せていくし、髪の毛も抜けてスカスカになるんです。
私はそれを認めるのが嫌だったみたいで、母のその状態を見ても今までと何も変わってないって本気で思ってました。

抗がん剤使ってもそんな変わらないね」とか言ってました。そんな事無いのに。
それから1年位経っても母は元気で、私も安心して結婚。実家から近くのアパートに引っ越しました。

母は本当に、元気に見えたから特に心配してませんでした。肺がんになって抗がん剤やりながらも14年生きた人もいるとか聞いていたし、いつもどおり元気に喋っているので。

ある日、一緒にスシローいくついでに妊娠の報告しておこうと思い立って実家にいくと、玄関のすぐ左にある母の部屋のテレビがついているのに誰もいないのです。
あれ?と思いふっと顔をあげると、廊下の突き当りに母が倒れていました。すぐに靴を脱いで、短い廊下を思い切り走った記憶があります。

お母さん、お母さんと声をかけ揺さぶるも、揺すれないのです。
もう硬くなっていて、ゆらゆらと動いてくれなくて、死んでいると思いました。

携帯で父に電話をして気が動転したまま、母さんが倒れとるから早く帰ってきて!と叫びました。すぐに切って、しばらく呼び続けましたが、赤ちゃんみたいに丸まって倒れている右手のそばに携帯がありました。その携帯は、母が吐いたであろう血に溺れていました。

それこそ本当に絶望していると、私の携帯に父から電話がかかってきました。
救急車を呼べ と。ちゃんと119にかけましたよ。声が震えてたみたいで、落ち着いてくださいねって言われたの覚えています。

色々と事情を聞かれ、どこで倒れたかわかる?と聞かれました。
廊下の突き当りには、トイレがあるのでトイレを覗くと今まで生きてきて一度も見たことのないようなまさに血の海で、白い室内が赤くなっていました。

その後いろいろありましたが、警察とも話をして、母を弔うまでにも時間がかかりました。父なんか駆けつけてきたのに、3時間も警察と話をしてました。

死因は喀血での出血性ショック死

この前日に、新しい洗濯機を買ったと嬉々として電話してきていたのに。何が起こるかわからないですよね、人生。
あの時、あの内科の先生がちゃんと見ていてくれたら、ここまでひどい死に方はしなかったんじゃないのかと今でも思います。
ただ診てくれたらいいのに、どうして母が怒られなきゃならなかったんだろう?

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